キセキの日記 Diary of miracles

エゴをみつめ、祈り、奇跡を受け取り、贈り物と成るまでの記録

奇跡は水道の蛇口のように

奇跡は水道の蛇口から水が流れ出るように

 

ある朝、蛇口をひねったら 流れ出てくるもの

 

私の知らぬところで、私に見えぬところで

 

大いなる采配が働き

 

ある朝、蛇口をひねったら流れ出てくる

 

そんな風にして届けられるもの

 

なのかもしれない。

 

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ある冬の寒い朝、断水していた。

どうやら水道管の凍結によるもののようだ。

 

いつもであれば、すぐに管理会社へ連絡するはずだけれども、

 

「すでに誰かが連絡して、すでに誰かが対応してくれてるだろうな。

もしそうでないとしても、昼頃、あたたかくなるまで待てばいいや」

 

という何かわからない安心感の中で、

すでに動いてくれているであろう水道局の方、管理会社の方、通知してくれたであろう方を想い、感謝をする。

 

そんなまどろみの中で数分の時を過ごし、あらためて水道の蛇口をひねったところ、水が出た。

 

「あぁ、奇跡はこのようにして届けられるのだな」

 

とふと腑に落ちた。

 

私の知らないところで、私の見えないところで

誰かが、何かが動き、そしてある日、ふと蛇口をひねったら水が流れ出るかのように、届く。

 

そんな風にして奇跡は届くのだな。

 

 

 自分から動かない

 自分から取りに行かない

 安心して待つ

 

ということを体感覚として得た出来事だった。