キセキの日記 Diary of miracles

エゴをみつめ、祈り、奇跡を受け取り、贈り物と成るまでの記録

素朴な疑問

なぜ不安や疑うという感情をつくったのだろう?

 

それがなければ より平和でいられるのに、

なぜわざわざ不安や疑いという幻想をつくったのだろう?

 

最初からたった一つの愛であることを

覚えていられたならこの世は楽園のようなのに、

 

なぜ人が生まれ、育つ過程で

心や目が曇るような感情をもつように作られているんだろう・・。

 

素朴な疑問。

ライオンの夢

ライオンの夢を見た。

 

友人の家に遊びに行くと

ライオンを飼っていた。

 

毛並みは少し濃い茶色で、タテガミが黒色だったと思う。

彼の爪は人を傷つけることもなく

その柔らかい丸い手先で

私の頭を撫でたりしてくる。

 

こたつに座っていれば、一緒に隣に座っている。

何をするでもなく。

ライオンの柔らかい毛並みと体温をうっすらと感じながら

守られているようでとても居心地が良かったのを覚えている。

 

ところがここでハッと我に帰る。

「私に懐いていて優しいとは言え、ライオンじゃん!

いつ牙をむいて傷つけてくるかわからない!」

 

その瞬間から周りの景色がグレーになる。

 

パニックなった私は

友人に「動物園に預けたほうがいいよ!」とまくしたて

その手配をとらせてしまう。

ライオンは檻に入れられてしまう。

その友人とも険悪。

 

さらにその友人の庭には像やらワニやらまでいて、

その全てを怖い、動物園にいれたほうがいい、と私が友人に強く迫る。

 

・・ここで目が覚めた。

 

夢占いでライオンは権威や父性を表し、仕事や恋などに良い変化をもたらす

吉夢とあった。

 

それを知った時はただ、喜んでいたが、

結局「怖い、牙を剥かれるかもしれない不安」という

気持ちからこのライオンを遠ざけてしまったのだ。

 

この夢はとても私のパターンを表しているように思った。

 

傍にいてくれて守られているようで安心していた

それがすべてだったのに、

 

いつ牙を剥くかわからない

急に襲ってくるかもしれない

 

と怖くなり、パニックになり、起こってもいないことを

事実のように捉えて行動を起こしてしまったのだ。

 

この夢をみて1日が経ち思う。

 

一瞬でも、怖い、不安、と思ったときから

楽園が崩壊するんだな、と。

 

ワニも象もライオンも、私が疑うまではすべてが調和していて

争いなどもなく、平和に、楽園のように暮らしていた。

 

それが、私の疑う気持ちですべてが崩壊してしまった。

 

傍にいてくれて安心しているその感覚こそがが

本物であり、事実だったのに。

 

そちらを信じてさえいれば、ずっとライオンと心地よく入られたんだよな・・。

 

いてくれて嬉しい、安心するその時の感覚をこそ、大切にしていこうと思う。

采配が整うという経験 ゆりかもめ編

その日はお台場から新橋へと向かう予定があった。

 

ある仕事絡みの勉強会で、良かったら参加しないか、とお声がけいただいたのだった。

 

「何かここから仕事につながるご縁が生まれるかもしれないし、行ってみよう」

 

そんな下心もあった。

 

なにより、

自分から動いたのではないこと、

通勤ラッシュにあたる時間になるので、

身体的理由から、通勤ラッシュ時に電車に乗れないため、都心にホテルを取ろうと思っていたところ、知人がお台場に泊まるというので、便乗させてもらえるなど、タイミングも良かった。

 

なので、「これは采配だわ♪ きっとそこで仕事につながるご縁があるのね!」

 

と前のめりな気持ちで高揚していた。

 

ところが、である。

 

いざお台場から新橋に向かおうとしたその日、

ゆりかもめが全線、停電によりストップしてしまったのだ!

 

「早起きして、身支度して出てきたのに!」

 

振替のバスが出ているとアナウンスはされているものの、そのバスの発車場所もわからなければ、聞こうとしても駅員が表に出ていなくて聞く人もいない。

 

いつもであれば、何がなんでも目的地へ向かおうとしただろう。

 

一瞬別の路線で向かおう、とも思ったその瞬間、またグッとペダルを全力で漕ごうとしている自分に気がつき

 

「やめよう。もう行かないでおこう。」

 

と手放した。

 

今から行っても遅刻だ。

初参加で遅刻の方が心象も悪い。

しかも寝不足で頭が回ってないなかで

ディスカッションなどできないだろう。

 

なにより、せっかくの素敵なホテルで

ゆっくりしたい。(←今思えばこれが本音)

 

そう思って部屋に引き返した。

主催者に欠席のメールを入れる。

念のためもう1つの連絡先へも連絡しようとするも、今度は携帯がフリーズ。

再起動もできない。

 

はぁぁぁ、もうお手上げ、だ。

もう抵抗はやめよう。

誰も私を咎めたりしないだろう。

 

すべて諦めて、ゆっくり二度寝することにした。

 

二度寝から覚めて

「そうだ、せっかくここまできているのだから、赤坂氷川神社へお参りしよう」

 と支度をし、駅に向かったところ、

駅に着いたタイミングでゆりかもめが再運転を始めたところだった。

 

ゆっくりとゆりかもめに揺られ

新橋から銀座線で溜池山王へ。

 

携帯がフリーズしていて地図が見れないため

少し迷ったものの、以前来たときの記憶ーふと見たビルとそこに流れる空気ーから無事たどり着き、お参りすることができた。

 

木造の屋根に雪をたたえた氷川神社

その冷たい空気も手伝ってなお一層、

凛とした清涼な佇まいで私を迎えてくれた。

 

手水舎の水さえ雪解け水のように感じられる。

しばし、この清涼な空気に包まれて過ごす。

 

帰り道には、一度行ってみたかった

預言カフェにプラリと立ち寄る。

 

そこで、今受け取るべきメッセージを受け取り

帰路に着いた。

 

本当にどうやっても本音だけが叶えられていくこと、

自分から取りに行こうとするとシャットダウンされることが、こんなにもわかりやすく示されることに、私はただ降参した。

 

そして、運ばれることに素直に従うと

今受け取るべきものが受け取れた。

 

タイミングの良いところが神の采配があるところであり、ギフトのあるところ

 

と私のお祈りの先生が言っていた。

 

大いなる采配に本当に降参していく

自分でやらずに采配に委ねていく

もうここまでわかりやすく、教えてくれるようになった。

 

それならば、私はただ、受け取って行こうと思う。

 

 

采配が整うという経験 トイレトラブル編

ある日、とあるホテルに宿泊。

 

お手洗いを使おうと思っていたが、

いつもと様子が違うので、使用する前にトイレの水を流してみた。

 

すると。。。。

何かつまっていたようで、水が便器から溢れ出した!!

 

ちょっとパニックになりつつも、フロントへ電話。

 

私はもう出かけなければならない。

どうしよう。。

と思っていたところに、清掃のお兄さんが到着。

 

「清掃時に何かをつまらせたかもしれませんね」

 

嫌な顔をするでもなく、焦る様子もなく

ただ穏やかにそう話してくださったお兄さん。

 

とても安心できる方だったので、

お任せして、部屋をあとにした。

 

友人との楽しい時間を過ごし、部屋へ戻ると

何事もなかったかのように、全てがピタッと綺麗に整えられていた。

 

「すべてが自分の想像をこえて綺麗に整えられている。」

 

信頼して任せたことによって、すべてが整う、

その采配と、采配を見せてくださったことに感動と感謝を想った。

奇跡は水道の蛇口のように

奇跡は水道の蛇口から水が流れ出るように

 

ある朝、蛇口をひねったら 流れ出てくるもの

 

私の知らぬところで、私に見えぬところで

 

大いなる采配が働き

 

ある朝、蛇口をひねったら流れ出てくる

 

そんな風にして届けられるもの

 

なのかもしれない。

 

**

ある冬の寒い朝、断水していた。

どうやら水道管の凍結によるもののようだ。

 

いつもであれば、すぐに管理会社へ連絡するはずだけれども、

 

「すでに誰かが連絡して、すでに誰かが対応してくれてるだろうな。

もしそうでないとしても、昼頃、あたたかくなるまで待てばいいや」

 

という何かわからない安心感の中で、

すでに動いてくれているであろう水道局の方、管理会社の方、通知してくれたであろう方を想い、感謝をする。

 

そんなまどろみの中で数分の時を過ごし、あらためて水道の蛇口をひねったところ、水が出た。

 

「あぁ、奇跡はこのようにして届けられるのだな」

 

とふと腑に落ちた。

 

私の知らないところで、私の見えないところで

誰かが、何かが動き、そしてある日、ふと蛇口をひねったら水が流れ出るかのように、届く。

 

そんな風にして奇跡は届くのだな。

 

 

 自分から動かない

 自分から取りに行かない

 安心して待つ

 

ということを体感覚として得た出来事だった。